『山月記』って話を知ってるかい?

 

短い作品なのもあって、教科書で全文を読んだことがある人も多いのではないでしょうか?

非常にシンプルな話のようで、なかなか奥深い作品でもあり、教える国語教師にとっても難しい題材。

元になっているのは中国の「人虎伝」という話、漢学者の家に生まれ育った作者が、その話を咀嚼して、自分なりの文学に仕上たものです。

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1.あらすじ

唐の時代、隴西の李徴は郷里の秀才で難しい官吏の試験にも好成績で合格した。
しかし、意地も自負心も強く、頭の悪い役人たちとの仕事に満足しきれなかったために、官職を辞し詩人として名を成そうとする。しかし、挫折して役人に戻る。
かつて見下していた同僚が出世し、自分は小役人という屈辱的な生活に苦しみ悩む。その後、地方へ出張した際に発狂し、そのまま山へ消え、行方知れずとなった。

翌年、彼の数少ない旧友で高位の役人であった袁傪(えんさん)は、先を急ぐために人食い虎の噂を聞いても月が明るく残る未明に旅に立つが、その途中で虎に襲われる。

その虎の正体は李徴であった。すすり泣きをした後、虎となった李徴は茂みに姿を隠したままいきさつを語る。

何者かの声に惹かれ、わけがわからぬまま山中に走りこみ、気がついたら虎になっていた。

人間の意識に戻る時もあるが、次第に本当の虎として人や獣を襲い、食らう時間の方が長くなっている。

まだ自分が記憶している数十の詩編を書き記して残してくれないか。

李徴の朗ずる詩は見事な出来ばえであったが、何かがたりないと袁傪は思う。

李徴はなぜ虎になったのかについて語る。自分は他人との交流を避けた。傲慢だと言われたが、臆病な自尊心と、尊大な羞恥心の為だった。

詩才がないかも知れないのを認めるのを恐れ、苦労して才を磨くことも嫌がった。それが心中の虎であり、ついに本当に虎になってしまったのだ。

夜があけ別れを惜しむ袁傪に、「残された自分の妻子の援助を袁傪に依頼し、自分はもうすぐ虎に戻る、早くここを離れ、しばらく行ったら振り返るように」と言う。

己の醜悪な姿を見せ、二度と再びここに来て会おうとしないように。次は襲って食べてしまうかもしれないのだ。

袁傪が振り返ると、朝明けの空ですっかり光を失った月の下に1頭の猛虎が姿を現わし、咆哮すると共に姿を消し、再びその姿を見せる事はなかった。

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2.解説

1942年、「古譚」の名で「文字禍」と共に発表されました。唐の時代に書かれた「人虎」として知られる中国の変身譚を元にしています。高校2年生向けの教科書によく載ってますね。

ざっと読むと、ちゃんと人と交流して謙譲の気持ちで努力しないといけないよという説教じみた話に感じますが、そこには芸術というものに挑むものの恐れや悲しみがあふれています。

それを浮き彫りにするのが原作との違いです。いくつか相違点を上げます。

・虎への変身の理由

原作では、李徴は寡との逢瀬を妨げられたのが原因で一家を焼き殺した報いで変身。

「山月記」では「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」という性情が原因だとされています。

生活が苦しくても、李徴は自分の詩作の才能を信じて詩家として大成することを望んだ「臆病な自尊心」。

自分の詩作の才能がないことを認めるのを恐れ、詩友や師をもって研鑚しなかったのが「尊大な自尊心」。

この性格のために才能は開花せずに追い詰められたと言えます。

「虎」は望まなくても畏怖される存在であり、「臆病な自尊心」が虎として形になってしまった。

また、恐れられるための孤独が「尊大な羞恥心」、本質を知られることを怖れて他者と協調できない部分を表します。

段々と虎の時間が長くなるのは、まだ李徴が詩人になることを夢に見ていながら、そのことを諦めており、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」から抜け出せないためだと思われます。

しかし、虎となったことを半ば受け入れ、そのまま生きることを李徴は選んでいます。

実は、この「自分の才能を信じること」「自分には才能がないのではないかと恐れること」は、ほとんどの芸術家が抱える悩みでしょう。作者の中島敦もまた、そのような悩みとともにこの作品を仕上げたのではないでしょうか。

・原作では妻子のことを詩の朗読の前に依頼していますが、山月記では順番が逆です。

「妻子よりも、己のくだらぬ詩業を気にかけるような男だから、獣に身を落とすのだ」と自嘲のセリフを発しています。

人間としてダメだから虎になったのだと捉えることもできます。

しかし、一度は妻子のために役人に復帰してもいます。詩作への欲求を抑制したことが、虎になるという現実からの飛躍を産んだとも言えます。

・虎になった理由は運命かもしれない

李徴は、突然トラになったことに驚き人生の不可思議さ運命の残酷さを口にしています。

死のうと思ったことも告白しており、近代人の苦悩=自らの意志によって人生を決することの苦しみというテーマに最も迫っている部分です。

・虎としての苦しみ

原作では「空腹=野性」によって苦しんでいますが、 山月記では「人間でなくなることへの恐れ=理性」によって苦しんでいます。

しかし、虎が本当に人より劣るとはいえません。人を食らうことのできる自然界の王者です。

人としての記憶が戻った時は苦しいでしょうが、完全に虎になっている時、李徴は悠々とした王者です。

完全に虎になり虎としての自我を確立した時には、李徴の念願がかなったとも言えます。

・李徴と袁傪の関係について

原作は非常に仲が良かった、とだけ言及していますが、「李徴の峻峭さ」と「袁傪の温和さ」を対比して書いています。

李徴が秀才でなければ、凡才の同僚と仲良く楽しく官吏生活を楽しめたかも知れません。天才には届かない秀才、凡人にはなれぬ秀才の悲哀があります。

・李徴の性格

原作にはほとんどかかれていませんが、山月記では自嘲的な性格の人物として描かれています。

「過剰な自意識が李徴を破滅に追いやった」ことが強調され、芸術家の苦悩、近代人の葛藤を主題とする筆者の意図が明白です。

・結末

原作では李徴の子のその後や袁傪の後の地位について述べていますが、『山月記』では虎が月に向かって吠えて終わります。

省略すべき所を省略することで、文学として原作が昇華されています。このような省略は随所に見られ、何を捨てるかという点に中島敦の非凡さが見て取れます。

・題名の由来となった1辺の詩

李徴の詩作は1辺だけが掲載されています。それは李徴が「名を成そう」という功名心でつくった技巧的なものではなく、虎として生きる今の悲しみを歌ったもので、それは「なにか足りない」と感じた感情が込められた芸術となっています。

その一作だけが、山月記にのこり、李徴という詩人の作品として後世に残っりました。

これは原作から採用しています。

虎に変わった李徴が詠む詩の中の一節に「此夕渓山対明月」とあり、そこから取ったとされます。月は李徴の人間としての意識の象徴とも考えられます。

偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
我為異物蓬茅下 君已乗(車+召)気勢豪
此夕渓山対明月 不成長嘯但成(口+皐の白に代えて自)

(意訳)
運命の悪戯で獣になってしまった、災いや運命は逃れることが出来ない
今となっては虎の自分に誰がむかうだろうか 昔は声望ともに高かった
今の私は獣となりこんな草むらにいるが 君は立派な乗り物にのり意気盛んな様子だ
旧友に会えたこの夜に谷や山を照らす名月に相対して 思いを詩にして歌おうとしても獣の声で吠え叫ぶだけになってしまう


原作から採用しているにもかかわらず、背景を変えたことでこの詩が際立ってきます。

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3.感想

水墨画の世界が自然と目に浮かぶような文章です。美しくリズムがあり、ラストの悲しい咆哮がずっと心に染み入ります

非常に絵が浮かびやすく絵画を見ているような気分になる作品で、ラストの姿は特にいつまでも絵として心に残ります。

月に咆哮する虎というのが一般によく知られた水墨画の題材であることもあり、心に長く尾を引くようなラストです。

月が出ている間だけ人としての自分を取り戻すことのある李徴。月の姿が非常に印象的な舞台を設定しています。

人として、そして表現者として生きることとは何か。

努力では超えられない才能の存在、運命の悪戯、そして自分で決断をすることの難しさなど、奥深いテーマがさり気なく短く簡潔に提出されています。

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4.中島敦

1909年(明治42年)生まれ 1942年没。33歳の若さで亡くなっています。他には没後に発表された李陵が有名です。

気管支喘息で長く生きられない中島は生き急ぐように作品にすべての思いを込めました。死の数ヶ月前に「光と風と夢」で芥川賞候補となっています。

父は漢文の教師で、親戚も漢学者ばかりの環境で育っています。そのため、漢文調の格調高い端正な文体と、ユーモラスに語る独特の文体を巧みに使い分けた文章が特徴です。

大学卒業後女学校の教師となりますが、作家になるべく辞職をしています。

山月記は中島敦自身の問題をテーマにしているとも言えますね。

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コメント一覧

  1. monkichi より:

    臆病な自尊心と尊大な羞恥心。。。
    まさに清原やん!
    そういや虎の刺青入れとるらしいし。

    中島の作品ではワイは名人伝が好きやな。誰かか言うとったけど、何かを会得して名人になるのではなく、紀昌はいろんなモンを捨てていき、最終的に弓の存在そのものを忘れるに至って本物の弓の名人となったんやと。見事なパラドックス的オチはさすが中島先生やな!

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