今も生きるイサム ノグチ

 

イサム・ノグチという彫刻家をご存知でしょうか。彼がデザインした家具や橋は現在も多くの注目を集めています。

今回は今も作品が日常的に使われているイサム・ノグチを紹介したいと思います。




1.イサム・ノグチとは

日本名:野口 勇は(1904年11月17日 – 1988年12月30日)、アメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家、舞台芸術家。
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父親が日本人(愛知県生まれの日本の詩人で慶應義塾大学教授の野口米次郎)で母親がアメリカ人(アメリカの作家で教師のレオニー・ギルモア)。

両親は正式には結婚していず、イサムは一時日本にいましたが、母の意向でアメリカの学校に入ります。

母と父親の違う妹も後からアメリカに戻りました。(妹は日本で生まれていますが)

1925年にはイサム・ノグチは舞踏家の伊藤道郎のダンス・パファーマンスの仮面のデザインを制作しました。

1935年には、「邦人美術展」に出品しています。

第二次世界大戦が始まり、1942年からアメリカは日系移民を強制収容所に入れ、ノグチは自ら志願して「強制収容所」に入所しましたが、収容所住民からハーフゆえにアメリカのスパイ扱いされ、出所を志願するも、アメリカ側からは日系人として出所拒否されました。

1950年(昭和25年)、魯山人の庭園に住まいを構え、広島平和記念公園のモニュメント(慰霊碑)にノグチのデザインが選ばれましたが、原爆を落としたアメリカの人間であるとの理由によって選考を外されました。

しかしノグチのデザインの一部は、平和公園にある丹下健三設計の「原爆慰霊碑」に生かされています。また平和公園の東西両端にいちする平和大橋・西平和大橋のデザインはノグチのです。

ノグチは後年、アメリカ大統領の慰霊牌を設計したこともありますが、こちらは日系人であることを理由に却下されました。1961年からアメリカへ戻り精力的に活動をしました。

では、作品を紹介したいと思います。

ソファ

46年。「川石」をモチーフにした曲線と柔らかで可愛らしいデザインが特徴になっています。

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「ノグチ・テーブル」

47年にデザインされ、シンプルで彫刻的要素のあるデザインの脚と厚みのあるガラステーブルを使用しこのコーヒーテーブルは世界中で現在も愛用されています。

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岐阜提灯から生まれた、AKARI

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1951年、長良川の鵜飼見物のため岐阜を訪問したイサム・ノグチに、当時の市長が戦後低迷した提灯産業のために協力を求めました。

提灯工場(現・株式会社オゼキ)を見学し、製作工程や材料について理解したその晩、さっそくデザインします。その後も度々岐阜を訪れ新作に取り組みました。生涯制作した AKARI は200種類以上にのぼります。

「平和大橋の欄干」「西平和大橋の欄干」のデザインの由来

51年の一般公募で決まり、52年に完成。

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平和大橋の欄干について、イサム・ノグチ氏は、「設計の際、私は、建設の理念、すなわち新たに自己の生活を建設する者の特に再建広島の理念を伝えるものとすべきであると考えていました。従って、私は、建設を意味する名前をその橋に付けたいと思います。」と述べており、「つくる」と命名しています。

イサム・ノグチ氏は、もともとこの橋を「いきる」と名付けていましたが、同じ時期に、「生きる」という映画が公開されていたため、「いきる」から「つくる」に変更したというエピソードがあります

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西平和大橋の欄干について、イサム・ノグチ氏は、「出離の理念、すなわち「人生よさらば」広島がその記念となった悲劇の経験よさらばということを伝えるべきものと考えます。」と述べており、離別の理念をもって「ゆく」と命名しています。

イサム・ノグチ氏は、もともとこの橋を、東側の平和大橋の「いきる」という命名に対して「しぬ」と名付けていましたが、平和大橋の名称を「いきる」から「つくる」に変更した際に、西平和大橋も「しぬ」から「ゆく」に変更したというエピソードがあります。

広島市HP

プリズマスティックテーブル、ダイニングテーブル

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57年。プリズマスティックテーブルは幾何学的な形が特徴です。

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ダイニングテーブルでは、複雑に組み込まれた脚が特徴でとてもインパクトがあります。

ブラック・スライド・マントラ

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イサム・ノグチが札幌に遺したアートは滑り台です。大通公園で毎日子ども達が遊んでします。ブラック・スライド・マントラは、大通公園の西8丁目と西9丁目の中間、東西南北どの方角からも見通しの良い場所に設置された、イサム・ノグチの彫刻作品です。

88年に札幌から依頼されたイサム・ノグチは大通り公園の通称クジラ山と呼ばれているすべり台を見ます。市はそれを撤去して、イサムの彫刻を置こうと思っていましたが、彼はクジラ山を残して、道路になっている場所に滑り台にもなる彫刻を置こうと提案します。道路の撤去は言うまでもなく、市にとって勇気がいる事で、検討している内に、イサムが亡くなります。

3年後にイサムが提案した場所と違う所に設置しますが、イサムの考えを尊重したいと、道路を取り払い、イサムが考えた場所に移動させました。黒いフォルムは雪の札幌に映え、優美な曲線を描くアートであるだけでなく、滑り台としても市民に親しまれています。

札幌にまつわるエトセトラ

彼の照明器具は以前から知っていましたが、レオニーという彼の母親についての映画を見、そして今回、彼の複雑な人生、そして遺作となった札幌のすべり台にまつわる話と、色々と考えさせられます。

シアトルの公園の黒い太陽でも子供が乗ってる写真がありますし、ニューヨークのレッドキューブも彼の作品なんですね。

機会があれば、彼の作品にぜひ触れたいと思います。

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