銀河鉄道の夜Ⅱ  感想

   2015/11/28

宮沢賢治は日蓮宗を信仰していたのに、[銀河鉄道の夜]は、キリスト教の世界観で書いています。これは、当時、(明治~昭和初期)外国の話は読者にとって、別世界の、別空間の話になるからだったかもしれないからだと思います。

これが、もし、太郎と次郎が登場人物で、七夕の日に、起こった話なら、日本の常識に縛られた、ひろがりのない話に、なったことでしょう。太郎の放課後の職業も色彩のない描き方になったようにおもいます。

登場人物も、蒸気機関車に乗り合わせた、ふろしき包みをもった人たち。歌うのは民謡。タイタニックの沈没場景らしき場面は、日本近海の連絡船?

その中で、宮沢賢治は、自分の宗教観、「死」「死後の世界」「自己犠牲による魂の浄化」などを深く書くことはできなかったのかもしれないと、おもいます。

これが、外国の子供の話で、想像の中での、生活感、夜、小学生らしき子供が、遅くまで、屋外で眠りこんで、夢を見る。外国の田舎の情景の中では、違和感なく、銀河鉄道も銀河ステーションもあらわれる。

そして、星座の名前とダブらせながら、「夢の世界」「死後の世界」を描き、それは、暗いものではなく、子供の心に、正しく生きるという、信念を、自ら思い至らしめる方向で指ししめしている。

ジョバンニはカンパネラが死後の世界を旅して天上に行くまで、共に銀河鉄道の旅をしながら、一緒にすごした。

それは、これからもずっと一緒にいたいというジョバンニの希望通りではなかったが、カンパネラは最後に出会った時にジョバンニに気を悪くさせていたとおもっていた。それなら、もう一度、仲良く時間を過ごしたいと願った。

ジョバンニはカンパネラが他の友達と仲良くしていることに、寂しさを感じていた。汽車の中の女の子とカンパネラが楽しく話していることに、いらだちながらも、「ぼくはこころをもっときれいに大きくもたなければいけない」と自分の心の小ささにきづいている。

お互いの思いやりと、反省、とが あって「夢の中でけっしんしたとおりまっすぐにすすんで行く」とブルカニロ博士がさし示し、「みんなのためにほんとうの幸福をさがすぞ」とジョバンニが思う。と、締めくくっている。

この、宮沢賢治の信仰信念だけが読者の心に現実味をおびて伝えられる、物語の設定になっていると思います。

また、母親の牛乳という、設定も、釈迦の成道の前に、村娘スジャータの牛乳で作ったかゆの布施を受け、気力を回復して、菩提樹の木の下で大悟したとされる、伝えを元に設定したのかもしれないと思います。

銀河鉄道の夜Ⅰ あらすじ
銀河鉄道の夜Ⅲ 名言

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