宮大工というお仕事

 

「宮大工」で思い浮かべるのが、“神社”“神輿”“職人技”。その中でも、やっぱり一番は“神社”ですよね。普段は、あまり目にする事のない「宮大工」の仕事について調べてみました。
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1.宮大工ってどういうお仕事?

古い日本の建築物は「木組み」と呼ばれる工法で建てられてきました。“釘”や“補強金物”を使わずに、木材を組み合わせることだけで骨組みを作ってきました。

工期が長く、費用がかかる「木組み」の難点を解消するため発展したのが現在主流になっている「在来工法」です。

「宮大工」とは主に“神社”や“仏閣”などの伝統建築を手掛ける職人を指します。これは神社や仏閣を「お宮さん」と呼んでいたことに由来した呼び名なのです。

また、神社や仏閣は「木組み工法」で建てられているため、木組みの技術を習得している大工が「宮大工」であるとも言えますよね。

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❖使う道具は手作り!

ベテランの宮大工さんによると「入ってきて一番初めに教えるのは道具作り。ノミでもカンナでも、自分の道具は自分で作るんだよ」とのことです。

宮大工は、木材の切り出しから加工まで自身の手で行うため、道具の手入れが悪いと木材に影響し、その木材を使って組んだ建造物は当然良いものにはなりません。

そのため、多くの宮大工は一日の作業が終わると研ぎ場に詰めて丹念に道具の手入れを行います。とくに見習いのうちは工具を最もよい状態に保つための手入れの仕方を習得するために多くの時間を費やします。

腕の良い宮大工の一日は刃物の研ぎにかける割合が「4」、作業にかける時間の割合が「6」であるといわれています。

また、神社仏閣の中には柱や屋根などに特殊な装飾を施すこともあるため、芸術的なセンスも必要です。

女性が占める割合が極めて低く女性の募集もほとんどない、大工の世界ですが、この部分なら女性の感性が生かせます。とくに宮大工はその傾向が顕著です。

神社や仏閣の柱や梁には「木鼻」と呼ばれる装飾が施されています。木鼻はノミを使って木材に模様を彫っていき、下掘りを終えた後に小さなカンナで細部を丁寧に仕上げていくという繊細な作業によって施されます。宮大工の中でも苦手意識を持っている人がいるようです。

完成した木鼻はノミとカンナだけで作られたとは思えないほど精緻なものであり、神社や仏閣に華を添えます。

力仕事では不利な女性ですが、木鼻に関しては男女の差がほとんどなく、むしろ女性の方が高い技術を持っていることもあります。

女性ならではの繊細さがこのような場面で生かせるのです。木鼻の他にもカンナでなめらかな円柱の柱を作っていく作業なども女性の得意分野であるといえます。

2.どうすればなれるの?

宮大工になるための専門の学校は限られています。将来的に自分がどうなりたいのか考え、“一般的な建築の学校に行く”か“宮大工や大工に特化した学校に行く”か“棟梁に弟子入り”をするかを慎重に検討しましょう。

宮大工は、棟梁のもとに弟子入りをし、修行を積んで一人前の職人になるのが近道かもしれません。ただ、学校を出ることで、宮大工についてのより専門的な知識を身に就けることができ、プロとしての素地を作ることができるという考え方もありですよね。

❖日本建築専門学校
世界に誇る木造建築の精巧な技術とその美しさについて勉強できます。
*H26 瀧川神社再建
日本建築専門学校の3年生5名を中心に瀧川神社の新社殿造営を進めています。
〒418-0103 静岡県富士宮市上井出2730番地の5 TEL:0544-54-1541

❖伝統文化と環境福祉の専門学校 伝統建築学科
島内に能舞台が32、社寺は800以上、また、古民家も数多く現存する佐渡。その財産を教材として、大工のスペシャリストを育成するのが伝統建築学科です。基本はもとより金物を使わない継手(つぎて)・仕口工法(しぐちこうほう)などの特別技法までを習得できます。
〒952-1209 新潟県佐渡市千種丙202番地1 TEL:0259-61-1122

❖内弟子募集の工務店がありました!
(株)青木国工務店…本当に建築ができる人になりませんか?大工内弟子を募集しています。
明治初年より社寺建築を主力に百有余年の歴史を持つ工務店。
宮大工を養成するだけでなく、もの創りを通して職業意識、プロ意識をしっかりと身に付けて自立してもらいたいとのことです。
東京都葛飾区柴又7-7-22 TEL 03-3657-7262 ← 本気の若者に限る!って熱いです!!

❖宮大工として一人前になるには?年収は?

「宮大工」の世界では昔から「弟子入り5年お礼奉公2年」と言われています。一人前として認められるには最低でも7年間はかかるということを意味します。

ただ、7年間で一人立ちすることはほとんどなく、多くの宮大工が10年以上の歳月を見習いとして過ごすことになると考えておきましょう。

さらに宮大工が扱う建築物は歴史ある神社や仏閣などの文化財が中心ですから、技術だけでなく日本の歴史に興味関心を持ち、探究する姿勢が不可欠です。←責任重大な仕事です!

収入は、日当だと見習いで1万円前後、ベテランになると1.5万円前後、棟梁クラスで2.8万円ほどが目安。年収だと、見習いで350~400万円、一人前になると600万円ほど。ごく少数ですが、年収1000万円を超える宮大工もいるそうです。

3.宮大工、豆知識

❖宮大工にもスキルアップがあるの?

宮大工の仕事には、資格は必要ないのですが、国家資格である建築大工技能士に合格することによって、大工としての実力を証明することができます。建築大工技能士には、1~3級があり、学歴や経験年数で、受検できる級が異なります。

仕事の幅を広げるために設計を行うのであれば、1・2級建築士を、施工管理であれば、1・2級施工管理技士を目指す人もいるそうです!

❖宮大工の仕事は神社や仏閣だけ?

宮大工 飛鳥工務店がてがける仕事を覗いてみましょう!
①一般住宅建築、リフォームや増改築、和風住宅だけではなく、洋風住宅も!凄く素敵。
②お祭りの屋台・山車本体の新造、修理や改造、安全面に関する点検など。
③文化財の修復。掛川城の竹の丸(北の丸)の修復工事は、2008年7月~2009年5月まで。
④社寺の建立と仕事の幅は想像以上に広いです。
静岡県掛川市浜野2940-9 Tel. 0537-72-6330

❖難聴の宮大工・渡辺健太さん(40才)は棟梁です!

渡辺さんが修復を手掛けた猿田彦神社は、鎌倉時代以来の歴史があります。

1歳の時、はしかの熱が原因で耳が聞こえなくなくなった渡辺さんですが、長年の努力が認められ、現場を束ねる棟梁となりました。口の動きを読み取りながら、弟子たちに次々と指示を出していきます。

健常者でも一人前になるのに10年かかるという「宮大工」の仕事。渡辺さんの宮大工という仕事にかける努力と情熱が伝わってきます。

※ずいぶん前に「宮大工」をテーマにしたドキュメンタリー番組を観ました。毎年、台風などで多くの文化財が被害を受けるそうです。宮大工が作った物は、宮大工にしか修復はできない。一生かかってもこなしきれない仕事を抱え、やりがいがあります。と語っておられた事を思い出しました。

4.「宮大工」といえば“鬼”と恐れられた西岡常一!

明治41年奈良県生まれ。木の命を生かし千年の建物を構築。法輪寺三重塔、薬師寺金堂・西塔の再建を棟梁として手がけ、飛鳥時代から受け継がれていた寺院建築の技術を後世に伝え、「最後の宮大工」と称せられました。

祖父・父・そして、常一と3代続いた宮大工の家系にうまれ、戦中期の法隆寺金堂の解体修理を行い、功績により、法隆寺文化財保存事務所技師代理となり、周囲から「法隆寺には鬼がおる。」と畏敬を込めて呼ばれていた伝説の「宮大工」の棟梁です。

古代建築学の権威、藤島亥治郎(東京大学工学部名誉教授)や村田治郎(京都大学工学部名誉教授)らが、創建時の法隆寺金堂の屋根は玉虫厨子と同じ錏葺きであったという説を指示していたが、西岡は解体工事の際に垂木の位置と当て木に使われていた釘跡を発見して入母屋造りと判断し、双方の論争にまで発展したが、結局は釘跡が決定的な証拠となって入母屋造りと判明した。後、西岡は「ありがたい釘穴やなあ。」と述べていた。
(出典 ウィキペディア 西岡常一)

名だたる学者達より、本物の技術を身に着けた、職人の眼が法隆寺創建当時の真実を解明したのです。

又、西岡家に伝わる1子相伝についても、こんな記載があります。

口伝
祖父常吉は晩年、一人前となった父楢光と常一に西岡家に代々伝わる口伝を教えた。これは一度しか口移しで教えることができない秘中の教えで、一つずつその意味となる要点を教え、十日後に質問して一語一句違わず意味を理解するまで次に進まなかった。

•内容
o神仏を崇めず仏法を賛仰せずして伽藍社頭を口にすべからず。
o伽藍造営には四神相應の地を選べ。
o堂塔の建立には木を買はず山を買へ。
o木は生育の方位のままに使へ。
o堂塔の木組は木の癖組。
o木の癖組は工人たちの心組。
o工人等の心根は匠長が工人への思やり。
o百工あれば百念あり。一つに統ぶるが匠長が裁量也。
o百論一つに止まるを正とや云う也。
o一つに止めるの器量なきは謹み惧れ匠長の座を去れ。
o諸々の技法は一日にして成らず。祖神の徳恵也。
(出典 ウィキペディア 西岡常一)

「宮大工」という職業だけでなく、生きる姿勢にも、指針となる教えですね。

西岡家の床の間には今でも「不東」と書かれた軸が掛けられているそうです。かの有名な、玄奘三蔵法師が経典を求めてインドに旅立、途中で危険な西方に行くのを諌められた時、「志を遂げるまで唐には帰らない」と自らに誓った言葉なんです。

法隆寺の昭和の大修理、薬師寺白鳳伽藍復興工事に携わった西岡常一が終生大事にした言葉・・・奥が深いです。

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