「ピンク・フロイド」なんて怖くない

   2015/01/16

 

 

2/24 にピンク・フロイドのトリビュートアルバム(Pink Floyd: The Everlasting Songs)が出ます。

カバーするメンバーが凄すぎです。

キング・クリムゾン/ジェントル・ジャイアント/イエス/ディープ・パープル/トト/スティクス/ドアーズ/ジャーニ ー

こんな凄い人たちにトリビュートされるピンク・フロイドってどんなバンドだったんでしょう。

Various/Pink Floyd: The Everlasting Songs

1ピンク・フロイドについて

イギリス出身のロックバンドで、プログレを代表するバンドです。

しかし、フロントマンが2度交代したため、時期ごとに色の違う部分があるんです。

1) 結成からシド・バレット時代

1965 年、建築学校の同級生であったロジャー・ウォーターズ、リチャード・ライト、ニック・メイスンの3人を中心に「シグマ 6」というバンドを結成しましたが、行き詰まり旧友のシド・バレットを誘い、バンド名をピンク・フロイドに改めて再出発をはかります。

名前がシドの好きなピンク・アンダーソン(Pink Anderson)とフロイド・カウンシル(Floyd Council)というブルースミュージシャンの名前から付けられたように、シドは作曲なども精力的に行い、中心メンバーとなっていきます。

コピーバンドから、即興演奏やライトショーなどの演出など独自の路線を開拓しました。

サイケデリック・ロック全盛の時代にアンダーグラウンド・シーンで精力的にライヴ活動を展開して注目されました。

1967 年、シド・バレット作のシングル「アーノルド・レーン」でデビューし全英20 位、セカンド・シングル「シー・エミリー・プレイ」は全英 6 位、ファースト・アルバム「夜明けの口笛吹き(The Piper at the Gates of Dawn)」をリリース。

シドのアイドル的なルックスも相まって人気は上昇しましたが、そういうプロモーションを要求されたことを「最悪だったよ」と後にニック・メイスンは語っています。

シドは LSD の過剰摂取で奇行が増え、バンドとしての活動ができなくなり、1968 年にシドの友人であるデヴィッド・ギルモアが加入して、シドは作曲のみと考えられましたが、それも不可能な程に状況が悪く、1968 年 3月にバンドを脱退します。

*デビュー・シングル pink floyd arnold layne


 

2) 4 人での再出発~成功と影ロジャー

(B)リチャード(Dr)ニック(Key)にギルモア(G,Vo)を入れた4 人での活動を行うことになったバンドは方向を転換します。

サイケデリック・ロックから脱却し、より独創性の高い音楽を目指し、しばらくリリースを休みます。

即興音楽から、建築学校出身の強みを生かした構成力の高い作品に取り組みます。

ロジャーによると、バンド内では常に「建築家のロジャーとニック」vs「音楽家のデイヴとリック」という構図になっていたらしいです。

1968 年『神秘(A Saucerful of Secrets)』は、約 12 分のインストゥルメンタル曲であるタイトル曲「神秘」を収録しています。

1969 年発表『モア(More)』は、映画『モア』のサウンド・トラックとして制作、総合芸術への参加も意識的に行っています。

1969 年『ウマグマ(Ummagumma)』は 2 枚組で、ライブとスタジオ・レコーディングで構成されています。

精力的に行っていたバンド活動の様子が伺えますね。

1970 年には『原子心母(Atom Heart Mother)』で全英 1 位を記録し、音楽的、商業的に成功を収めます。

「原子心母」はオーケストラをとりえれた 23 分のロックシンフォニーであり、プログレッシヴ・ロックを代表するバンドとして認知されるようになります。

※1971 年のメンバー達

1971 年『おせっかい(Middle)』は、23 分を越える大作「エコーズ(Echos)」が収録されています。

メンバーも「初めてバンドがクリエイティビティを獲得した」と語っています。

*エコーズのライブ映像


ロジャーの「人間の内面に潜む狂気」を描くというアイデアから、「A Piece for Assorted Lunatics」という組曲をライブで披露。

これが 1973 年のアルバム『狂気(The Dark Side of the Moon)』となります。

ロジャーが歌詞を全面的に担当し、ピンク・フロイドのアルバムとしては初めて歌詞が掲載されました。

現代社会における人間疎外や政治問題をテーマにした文学的・哲学的な歌詞だが、幻想的で独特の浮遊感のあるサウンドとの融合で効果を発揮しています。

アルバムは全米 1 位を獲得して成功するが、環境、客層などの大きな変化が起こり、ロジャーの不満が貯まることになります。

しかし、このアルバムは、アメリカのビルボード 200 位以内に 15 年間チャート・インするなど、いつまでも古びない素晴らしいアルバムです。

*狂気からのシングルカット曲 money(全米 1 位)


1974 年から、次のアルバムの制作を開始するが、ライブで披露したものが海賊版として出回ったり、『狂気』で出しつくしたのに更に良い物を要求される重圧に苦しむことになります。

楽器を使わないなど実験的なこともやってみたが、なかなか新作の発表はできませんでした。

1975 年『炎〜あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)』を発表。
全米・全英ともに 1 位を記録。

これ以後コンセプト・アルバムとしてアルバムを発表していくようになります。

3) ロジャー・ウォーターズ時代

バンドは次第にロジャーのイニシアチブが強くなっていき 1977 年発表『アニマルズ(annimals)』は全 5 曲中4 曲がウォーターズ単独の書き下ろしでリード・ボーカルも担当しました。

幻想的な音創りからストレートなロック・サウンドと変化したが、ウォーターズ独特の社会風刺に満ちた歌詞は健在です。

ロジャーが独走する間、メンバーはソロ活動を開始し、ギルモアはソロアルバムでヒットを飛ばしました。

1979 年 2 枚組アルバム『ザ・ウォール(The Wall)』を発表。

2 枚組全 26 曲のうち、数曲を除きウォーターズが単独で作詞・作曲を行っています。

このアルバム制作中にロジャーがリチャード・ライトを解雇するなど、メンバー間の亀裂は深くなっていきます。

『ザ・ウォール』ツアーでは、会場に構築した壁が崩れ去るなどの大掛かりな演出を行ったが経費がかかりすぎて、この演出は 4 公演のみ、それでも赤字をだしてしまいました。

3 人になってから 1983 年に発表された『ファイナル・カット(The Final Cut)』は、サブタイトルが”A RequiemFor The Post War Dream by Roger Waters”(ロジャー・ウォーターズによる戦後の夢へのレクイエム)と実質的にはウォーターズのソロ作品となりました。

2 人のメンバーはレロジャーに呼ばれた時だけレコーディングするという状態でした。

ツアーも中止され、活動停止状態となり、ソロ活動を行うことになります。

バンド時代のような成功はありませんでしたが、デヴィッド・ギルモアはそれなりに成功し、逆にロジャーは大きな損失をだしてしまいました。

1985 年 12 月に「ピンク・フロイドは創造性を使い切った」との理由でロジャーはバンドを脱退。

バンドは解散かと思われましたが、デヴィット・ギルモアはバンドの継続を決断しました。

4)デヴィッド・ギルモア時代

オリジナル・メンバーではないものの、Vo や G としてバンドの顔でもあったギルモアは、ピンク・フロイド全盛期の幻想的な音創りに貢献したメンバーであります。

ギルモアはリック・メイスンと共にゲスト・ミュージシャンを交えて新生ピンク・フロイドを立ち上げました。

これはロジャーの逆鱗に触れ、訴訟沙汰にまでなっています。

数々の権利譲渡で和解したが、その後もインタビューなどで応酬が続き対立は注目されました。

新生ピンク・フロイドは 1987 年に『鬱(A Momentary Lapse of Reason)』を発表、大掛かりなツアーで復活を遂げました。

相変わらず、ロジャーは「フロイドの真似事をしただけのニセモノ」と手厳しく非難したが、商業的にも新生ピンク・フロイドは成功を収め、このアルバムを受けたツアーは 1989 年まで続きました。

その後の休止をはさんで、1994 年に『対(TSUI)』(The Division Bell)を発表。

収録曲「孤立(Marooned)」でグラミー賞ベスト・ロック・インストゥルメンタル部門を受賞。

このアルバムを受けたツアーも全 112 公演と長いものになります。

このツアーでは「狂気」組曲を約 20 年ぶりに演奏し、ライブを収めた『P.U.L.S.E』もリリース。

その後、沈黙することになります。

*グラミー受賞曲 Pink Floyd – Marooned (Official Video)


1990 年代末から、ロジャーとギルモアの溝が埋まり始めた。

2000 年から過去のアルバムの再発やベストアルバムの発売が行われるようになります。


永遠(TOWA)-Deluxe BD Version-(完全生産限定盤)(Blu-ray Disc付)

新品価格
¥6,054から
(2015/1/15 15:17時点)

Discovery Box Set

新品価格
¥18,044から
(2015/1/15 15:18時点)

Dark Side of the Moon

新品価格
¥1,197から
(2015/1/15 15:23時点)


2、今は?

2005 年 7 月 2 日に行われたアフリカ貧困撲滅チャリティー・イベント「LIVE 8」において、ロジャー・ウォーターズを含めた 4 人で再結成を果たしました。

その後の継続的な活動も期待されたが、2006 年 7 月のシドの死去でも再結成はされないままでした。

*LIVE8 の映像 Pink Floyd – Comfortably Numb (Recorded at Live 8)


2008 年 9 月 15 日リチャード・ライトが 65 歳で死去。

2011 年 5 月 12 日ロンドンの O2 アリーナでのロジャーのツアー「The Wall Live」のステージにギルモアとメイソンが出演し、久々に 3 人揃っての演奏が実現しましたが、リチャードが亡くなって 4 人のステージは「LIVE8」の一度のみで終わったことになります。

2014 年 10 月にアルバム『永遠/TOWA(The Endless River)』をリリース。

1993〜94 年にギルモア、メイスン、ライトらで行われた『The Division Bell』セッションのアンビエント&インストゥメンタル・ミュージックを基に構成されたアルバムで、リック・ライトへの追悼アルバムであり、ピンク・フロイド最期のアルバムだと発表されました。

* Pink Floyd – Louder Than Words – Official Music Video


アナログ盤でも発売され、1997 年以来英国で初週で最も売れた LP となり、アナログ盤として今世紀最多初週売り上げ記録となりました。

4 つのパートで構成されたものを 2 枚組の表裏面に分けた構成で、アルバムで聞くのに適したものだったといえます。

ニック・メイソン自身もインタビューの中で、

「21 世紀にアナログ盤みたいな4つのパートで構成するアルバムなんてコンセプトがとても古臭くて風変わりかもしれない。
でも、これを機会にみんなに思い出してもらいたかった。
曲の長さにルールなんかないことをね。3 分だろうと 10 分だろうと問題ない」

と公式サイトで語っています。

ニック・メイソンは「自分のお墓に “デイヴ、もう一度 ツアーに出るだろ?”と彫ったんだ」と語り、長年の仲間と音楽への親愛を語っています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

この記事へのコメントはこちら

メールアドレスは公開されませんのでご安心ください。
また、* が付いている欄は必須項目となりますので、必ずご記入をお願いします。

内容に問題なければ、下記の「コメント送信」ボタンを押してください。