カフカがなぜヤバイのか?

   2015/04/14

フランツ・カフカ(Franz Kafka)って誰?という人でも、起きたら虫になってたって話を書いた人と言えば、あ~と思うだろう。

変な話なんだろうなとか、学校で読まされたとか、薄いから読書感想文書こうとしてエライ目にあったとか、思うことも様々でしょう。

カフカはそんなにやばいのでしょうか?

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1、カフカ作品の評価

カフカは大学卒業後に保険会社に勤め、結核で退職するまで、サラリーマンとしてかなり順調に出世しています。

残る時間を全て執筆にあてていましたが、生前に発表が決まっていたのは、とても薄い7冊の本(「観察1912年」「火夫 1913年」「変身 1915年」「判決 1916年」「流刑地にて 1915年」「田舎医者 1920年」)「断食芸人 1924年」だけで、部数も2000部程度。

友人で作家のマックス・プロートの紹介で、短くて薄い手に取りやすい本を作りたいというクルト・ヴォルフという出版人の計画にぴったりの素材だったお蔭で出版の機会をえたものの、たまに文芸誌に乗る程度でした。

しかし、生前から彼の才能は認められ、初めの書籍「観察」は、厳しい読み手でもあるフランツ・ブライのヒューベリオン誌1908年に載った8つの短編をまとめたものです。

この本はロベルト・ムジールなどの批評家にも高く評価されました。

また、カフカが未発表のものを作家仲間の前で朗読すると、非常に評価が良かったです。

また、知人以外でも、ヘルマン・ヘッセ、リルケ、ヴォルター・ベンヤミン、クルト・トゥホルスキーなどが評価していました。

1915年にフォンターネ賞を受賞したカール・シュテルンハイムが、『観察』『火夫』『変身』などの作品を認めてこの賞金をカフカに譲り、カフカをひどく驚かせたという逸話もあります。

カフカは断片的な文章を纏めて長編小説を描きたいという計画があり、死後に未完のまま発表された作品の中には、文芸誌に乗ったものや朗読会で語った話も組み込まれています。

しかし、「疾走者」「審判」「城」といった長編はいずれも未完成のままカフカの死後に残されました。

これが、死後に出版され大きな評価を得ます。

カフカの評価が最初に火が付いたのはフランス。

まずはシュールリアリズムの文学として、次には実存主義(実存は本質に先立つという考え)の文脈で捕らえられました。

カミュは、カフカの作品を実存主義の文脈における「不条理な作品」と見なし、「審判」などの作品を評価しました。

ジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と言われます。

その後、様々な文学のブームがありますが、そのどのブームにもカフカの影響を受けた人物を見ることが出来ます。

その作品の普遍性や翻訳に耐えるだけの骨格の強さを感じます。

2、代表作「変身」のあらすじと解釈


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ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。青空文庫(原田 義人訳 無料で読めます)で始まる、カフカで最も有名な小説です。

まあ、この「虫」という部分、「Ungeziefer」は害虫をさす言葉ですが、語源的には「汚れてしまったので生け贄にできない生き物」だそうなので、虫と言い切っていいかどうかはわかりませんが、その後の描写も虫的ですし。カフカはユダヤ人ですから、語源も踏まえて選んだかもしれません。
新訳でびっくり。カフカ『変身』の主人公は、本当に「毒虫」に変身したのか

3パートで構成されているので、現代人の会話風にざっくりあらすじを書きます。

目覚めたら虫だった。仕事行くの嫌だな~って、それより遅刻だ。
俺の給料で家族は生活してるのにヤバイよ。

部長が様子を見に来てるし、なんとかドアを開けたいけど、仰向けに寝てるからベッドから降りるのも一苦労だ。

何とかしてドアを開けたら、親父はステッキで殴るし、部長は逃げ出すし、明日から生活どうするの?。

頭は人間のままのつもりだけど、身体は虫だから残飯美味しいし、二足歩行とか諦めた。

可愛い妹が食事を運ぶ時に、姿を見られたくなくて隠れるのはちょっと切ない。

親父はなんか貯金もあるから一年くらいは大丈夫といいつ、今までブラブラしてたのに働き始めたし、母も妹も仕事するしで、今まで俺だけあくせく働いてた意味って何?

でも、みんな疲れてて心配だ。

人間の声を出せないから言いたいことを伝えられないのは厳しい。
思い出の詰まった家具を持ち出すのは辞めて欲しかったよ。

そう伝えようとしたら母さんに姿を見られちゃって、パニックになって親父に林檎を投げつけられた。

痛え。

林檎が身体に食い込んで痛いけど、動けなくなったから部屋ドアを開けても怒られない。

部屋の暗がりから、家族の様子を見ていられる。
食べるのも面倒だし、なんか弱っていくなぁ。

3人の下宿人を置くようになって部屋は物置状態。

そいつらが可愛い妹のバイオリンを無視するんで、俺の部屋に来て弾いてほしくって居間に出てしまった。

またも大パニック。

妹が「もう限界よ」とか言い出したし、確かに俺も居間と部屋を往復しただけでヘトヘトで力がわかないよ。

(完全な結末はご自分で)
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解釈

冒頭から、息次ぐタイミングが無いほどに、思考を垂れ流す主人公と緻密すぎる状況描写の連続に驚くだろう。

ここで好き嫌いが分かれるのではないか。
際限ないおしゃべりに付き合わされる気分である。

虫になっちゃってるのに、それ放置するの???と思わされる。

しかし、彼の状況が分かるに連れて、冒頭の気がかりな夢とは睡眠中の悪夢なのか昨日までの状況なのかと疑問が出てきたりする。

しかし、それを解釈する余裕を与えないぞとばかりに、さらに話がスライドしていき言葉が畳み掛けられる。

理解しようとせず感じとれと言わんばかりの文体である。

しかし、文章にはカフカ特有のユーモアがある。
実際に、この小説を朗読するカフカは、笑ったり吹き出したりしていたという。

ところで、NHKの25分番組に「100分で名著」という番組がある。
全4回で小説を紹介していくこの番組に、2012年に「変身」が取り上げられた。

100分あれば読みきることは出来るけど、100時間語っても語り尽くせないのが、この小説の魅力。

読む人だけの解釈がある。どう読んでも構わない。

カフカ本人は『虫になる』という事を非日常とは捉えてないように読み取れる。

少し奇妙な状況の1つでしかなく日常との境目を意識してはなかっただろうと、カフカ作品の日本語訳の第一人者であるドイツ文学者の池上紀さんも解釈されてます。

実際、虫になったザムザが最初に思うことは、何とか仕事に行かなければという日常です。

ここが凄いと思うけど、「100分で名著」の中で激しく共感をしたのが、不登校経験があるという伊集院光さんです。

収録当時は未読で、読んでない人代表として質問したりする役目が与えられてますが、後に自分のラジオ「深夜の馬鹿力」で収録のことを語っています。

現代日本人に共感しやすい解釈だと思うので紹介します。

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ブログ;世界は数字で出来ている;伊集院光が語る「カフカ『変身』と不登校児の気持ち」より引用

「グレゴール・ザムザ、主人公なんだけどさ、グレゴールのお家はさ、グレゴール1人が頑張らなきゃいけないような状況になってるわけ。(中略)

それでもう、すげぇプレッシャーを受けてるんだけど、ある日気がついたら、虫になっちゃってるわけ。

不条理文学の始祖みたいなやつだから、『虫になっちゃった』っていって。(中略)

虫になっちゃった後で、みんなの反応が…みたいな話なんだけどさ。
要は、イヤになっちゃったんだよね。

ギブアップ出来ない人が、『もう無理です。コレ以上、無理です』って言えずに、どんどん重圧が掛かっていくと、最終的に、体に何か症状が現れるんだなって解釈だなって思ったんです。(中略)

虫になったザムザは、虫になったことに凄いビビるわけ。
凄いビビるんだけど、それは『ヤバイ、会社にいけない』ってことなんだ。(中略)

数日すると、凄い好きだった食べ物とかが美味くなくなって、『残飯美味い、残飯美味い』ってなってくるの。

それで、暗い部屋の天井をカサカサって動くと、『すげぇカサカサ(笑)メッチャ面白い、メッチャ面白い(笑)』ってなってくるわけ。

でも、たまに外を見ると、『自分は人間だったんだよな』ってくるっていうのを、専門家の先生もいらっしゃるから、『この描写は…』って解説してくれるんだけど、もう喋りたくてしょうがないの。

登校拒否を始めて、1日目から3日目までの楽しさね。

学校に行かなくて良い楽しさと、『このまま俺、どうなるんだろう』って不安と、窓から見える同級生の誘いに来た川野くんの姿みたいなことが重なって、カフカの野郎、俺の姿を見てやがったなって思うのよ(笑)」

伊集院さんが語る、社会からの阻害感と解放感・浮遊感、アイデンティティの揺らぎは、カフカに共通するテーマでもあります。

疎外感を感じながらも社会に溶け込んで行くなかで、個と社会的立場の境界があやふやになってしまう。

忍耐強く、優しく、従順な面を持ちつつ、そんな自己を俯瞰で見て何処か突き放してるような人物が主人公です。

ザムザは天井を歩いて、過去の自分自身の投影である自室を上からながめてます。

カサカサ楽しいってのも本当だけど、そういう解釈も出来る所がカフカのカフカたるところ。

小説は、虫になったザムザを取り巻く状況を克明に掻き込み、変化していく生態から、ザムザとは何だったんだと問いかけてくるのですが、そこに答えは与えられない。

ただ状況が変わって無惨に捨て置かれるザムザ。

でも、人は生まれた時から状況の中で生き、そして死に向かっていくわけで、それを凄く凝縮してかいたのが、この小説なのかもしれません。

「変身」の主な解釈のまとめ


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精神分析的解釈:精神分析的解釈では、父に対する息子のエディプス・コンプレックスが表れというものが多いです。

社会的・歴史的解釈:権力者と労働者、共同体と個人の個性などの観点にたったもの。

作品内在的解釈:カフカがつねに自分を作家として意識していたことを強調し、「書くこと」の意味を追究したり、その「書き方」を解釈するもの。

伝記的解釈:カフカの生活史をもとにしたもの。

ユダヤ系チェコ人で、父はチェコ語、母はドイツ語を話すという環境から、プロートの行ったシオニズム的な解釈もここに含まれる。

ポストモダニズムによる解釈:カフカの文学を「マイナー文学」と規定した1970年代に多い解釈。

カフカはザムザか

KafkaとZamzaと音がにてる、状況や家庭環境が似ている等から、主人公をカフカの投影と見る人もいます。

でも、取材するための時間がないから自分の日常からモチーフをとっただけにも思えます。

実際、私小説的というよりも、もっと普遍的な小説になってます。

3、カフカの人生と時代

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1883年生まれ、1924年41歳で没。
現在のチェコ・プラハのユダヤ系家庭に生まれます。

父は叩き上げの商売人でチェコ語を話すユダヤ人であり、姓の「Kafka」はチェコ語のカラスの意味で、店の看板にもカラスの絵を書いていました。

母はドイツ語を話すユダヤ系チェコ人です。

当時のプラハは実質的にドイツのハプスブルグ家の支配下にあり、8割のチェコ語を話す中流下流層と、一部のドイツ語を話す上流階級とが居ました。

商売で成功した父は、より上流社会との接点を求めて、ドイツ語を話す女性を選んだようです。

カフカの人生において父との溝は大きく、厳格で実利的な父と性格が違いすぎ、身体を壊しても執筆することを父は理解できませんでした。

父の大きな身体が長身だが痩身で鉛筆のようだったカフカのコンプレックスを刺激したし、父は成功したユダヤ人として民衆ユダヤ人への差別意識も強かったので、カフカとイディッシュ語劇団との付き合いを激しく嫌悪しました。

ギムナジウムから大学へと進み法学を専攻したが勉強熱心ではなく、読書だけは大変好きで子供の頃から分野を限らずに読んでいました。

スポーツや小説や旅行を楽しみ、大学時代にマックス・プロートと出会い文学について大いに論じ、執筆も開始してます。

休暇ごとの旅行も生涯の習慣となります。
また、機械が大好きで飛行機が飛ぶと聞けば見に行くような快活な青年でした。

1908年大学卒業後は、半官半民の「労働者傷害保険協会」で働きはじめます。

当時の政策で、短時間勤務の2部制が取られており、8時から14時まで働き、昼食と仮眠をとったあとに執筆するスタイルを続けます。

度々朝方まで執筆することもあり、かなり無理をして執筆を続けてます。

ひとり暮らしをしてもそれは執筆の部屋を借りるだけで食事などは実家でとり、菜食主義なのに家族を安心させるために少しだけは肉も食べるなどしています。

この無理が、のちの病気の原因だとカフカは語っていていますが、後悔はないようです。

当時の執筆作品にも、カフカ独特のユーモアや浮遊感、不安感、夢のような世界観が見られています。

職場では、非常に優秀でした。

機械好きの聞き上手は、怪我をした人の話を聞くのに役立ち、カフカの最初の出版物は電気カンナの安全な使用法を解いたものです。

また、安全ヘルメットを発明したりもしています。

物静かで優しく、夜明けまで執筆しているために常に遅刻ばかりしていたが黙認されていたようです。

職場の隣に映画館があったこともあり、映画をよく鑑賞し小説への影響も指摘されています。

また、恋もしました。フェリーチェ・バウアーは最初の婚約相手です。

恋をすると手紙を書きまくるカフカは、手紙の中で、一晩で「判決」を書き上げたと述べるなど、当時の作品の研究材料となってしまっています。

二度婚約をしましたが、一度目は「執筆の時間がとれなくなる不安」から、二度目は喀血して肺結核が判明してしまったために婚約破棄をしてます。

しかし、その後も友情は続いたようです。

彼女に出会って書いた「判決」はカフカの文学を決定づける作品であり、後にも使われる法の問題に取り組んでいるし、最初の長編小説「審判」に著手しています。

二度目の婚約破棄の直後に2つ目の長編「放浪者」にとりかかるなど、文学的にも影響が強かった女性です。

1917年肺結核を患ってからは、妹のオットラなどの助けを借りながら療養したり、職場に戻ったりを繰り返すようになります。

その中でも、執筆を続けたのも病気を悪化させてしまいます。

療養先で知り合ったユーリエ・ヴォリツェクと婚約するが、父の反対にあい、長い長い「父への手紙」を書いているが、母の判断で父には渡されませんでした。

そのうちに翻訳家のミレナ・イェセンスカと親密になり、婚約解消。
ミレナとも自然所滅してしまいます。

この頃、「城」の執筆が開始されました。

1922年に勤務が不可能となり退職。

最期の恋人ドーラ・ディアマントと出会いベルリンで共同生活をしたが、生活が苦しく病状が急激に悪化し、すぐに実家に戻されます。

1923年より入院生活となる。喉頭結核になっていたカフカは会話が出来ず、筆談で話したり、出版の打合せをしていました。

1924年死去。41歳の誕生日の一ヶ月前のことです。

4、亡くなったあと

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1924年、41歳で結核の悪化で亡くなったとき、友人のプロートに書いたものを燃やすように依頼しますが、友人はこれらを纏めて出版にこぎ着けます。

この行為がなければ、カフカは今のような名声を得られなかったと思われます。

しかし、ボルべスは「バベルの図書館 土岐恒二訳」の中で、「本当に自分の著作の消滅をのぞむであれば、その仕事を他人に依頼したりしない」と指摘しています。

生前のカフカは作家への欲がなかったように見えますが、創作ノートには字数をカウントし、依頼があったらすぐに回答できるようにしたり、死の直前もゲラ刷りを読んでいたのです。

作家仲間であり、自分を認めてくれていて、出版の労を負ってくれたこともあるプロートに、出版の判断を委ねたという部分もあるのかもしれません。

このような未完成作品が受け入れられたのは、未完成でも良いという人が多くいたということです。

未完成だから面白い、結末を知りたくないと思って読んだら本当に終わりがなかった、そんなカフカファンは多いのではないでしょうか。

しかし、プロートは断片的な原稿を独自の解釈で再構成を行ってます。

プロートはカフカの遺稿のほとんどを独占し原本の公開の求めにも応じなかったが、1962年に草稿の大部分が公開されて研究が進められて、1982年より手稿版全集(「批判版」)、1997年から歴史校訂版全集(「史的批判版」)が出版されました。

史的批判版は、紙本とCD-ROMからなり、見開きの一方にカフカ直筆の手稿の写真、もう片方にカフカ自身の訂正や抹消も含めたすべての記述を活字化した研究には最適な形です。

これによりカフカ研究が一層すすみ、日本でも新訳が数々出るようになりました。

今もカフカのファンは増え続けています。ほら、またそこに一人…

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