夏目漱石『こころ』を読んで思ったこと

   2015/03/05

夏目漱石の「こころ」はきっと学生時代に強制的に読まされた人も多い作品です。よくわからない話と思った人も多いのではないでしょうか。「吾輩は猫である」を楽しく読むことは出来ても、この小説の「先生の遺書」部分だけを読むと暗く嫌な気分になるし良く理解できません。なぜこれが文学の金字塔なのかと思ったら、是非全編をじっくりと読んでみてください。

こころ (集英社文庫)

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 1.「こころ」のあらすじ

1914年(大正3年)朝日新聞‘で「心 先生の遺書」として連載され、岩波書店初の書籍として同年発行。3部構成。

※先生と私

明治末期。夏休みに友人の誘いで鎌倉由比ヶ浜に海水浴に来ていたが、友人の親が病気だということで、1人のんびりと過ごしていた。そんななか、海で「先生」と出会う。帝国大学出身で話していても教養があり、教授などよりよほど惹かれた「私」は、帰京後も夫婦ふたりで静かに暮す家に出入りするようになる。

毎月、友達の墓に墓参りする先生は、謎めいたことや、教訓めいたことを言いますが、詳しくは説明してくれません。「私」は実家の父の病気の悪化で帰省、正月すぎに東京に戻り大学を卒業後、再び父のために帰省します。

「恋愛は罪悪だよ」というセリフが印象的です。

明るい海辺で始まった出会いは、楽しいながらも一種のミステリーとなっており、そこがまた興味をひく構成になっています。漱石の上手さが光っています。

※両親と私

腎臓を病んでいた父親は、周囲の楽観をよそにだんだんと悪化していき、「私」は東京に戻るのを先延ばしする。上昇志向の強い兄は実家に戻る気がないらしく、「私」にここに残らないかと提案をするが、「私」も両親も帝国大学を出た「私」が良い職を得ることを望んでいる。その一方で、母は寂しさもにじませる。中央集権が強まった明治の影響を感じる部分ですね。

父は乃木大将の殉死のニュースに驚愕し、自分の死と重ねあわせるような様子を見せる。父の容態がもう3日持つかという時に「先生」から分厚い手紙が届く。手紙が「先生の遺書」だと気づいた「私」は、家族に伝言だけ残して、東京行きの汽車に飛び乗る。

ここで、父か「先生」か、という問題が提示されています。両者は同世代人で、父も地方人ながら新聞を熱心に読み、病床でも「私」に読み聞かせをさせるなど、教養を大事にする人物です。しかし、「私」はより精神的なつながりを感じる「先生」を選び、故郷を捨てる形になってしまいます。

「先生」を語る上で、この章は果たして必要なのかと感じますが、この小説の主人公は「私」です。2人の「父」を対比させ、両者の共通点と相違点を描きつつ、「先生」が体験した「親の死による混乱と絶望」を、「私」にも体験させています。叔父から離れ下宿するようになった「先生」と、「私」が重なる瞬間です。こういう部分でも「漱石ってやっぱり上手い」と唸らせてくれます。

※先生と遺書(ある意味ミステリーでもある作品のネタバレになってしまいます)

上京する電車の中で、むさぼるように読み返す「先生」の手紙で構成されています。この章で「私」という一人称を使っているのは「先生」ですが、混乱を防ぐために「先生」と表記します。

ここでは、これまで語られなかった「先生」の過去と共に、「明治に殉じる」という心境に至った経緯が語られています。

先生は両親を早くになくしたが、叔父が実家の面倒を見てくれて帝国大学に進学することが出来た。しかしながら、叔父はしきりに自分の娘(先生の従姉妹)との結婚を勧め、断ると露骨に嫌がらせをするようになる。今まで親切だと思って信じていた叔父が、金めあてであったと知った先生は、血縁を失った挫折と孤独のなかで、自分の取り分をもらい東京で下宿先を探すことになる。

軍人の未亡人とそのお嬢さんの家の二階に下宿することになります。お嬢さんの美しさに「先生」は恋をし、またお嬢さんもそれに答えてくれるような反応を示します。しかし、奥さんがしきりに結婚させようという態度を取るために、「この人たちも金や帝国大学というところが目当てなのではないか」と疑い、それに素直に答えることが出来ない。

「先生」は3人だけの生活に息がつまり、友人Kをもう一人の下宿人として誘うことにする。養子先に黙って医科から道者となる道を選んだ男であり、お嬢さんとの恋愛の邪魔になるような男ではなかった。

同郷のため寮で机を並べて勉強した仲でもあり、道者として生きるために困窮しているのを救いたいという純粋な気持ちも皆無ではなかった。

Kは次第にお嬢さんに惹かれていく。お嬢さんはそんな気持ちも知らず、恋人の「先生」の嫉妬を煽るような小さなイタズラをする。「先生」はそれに一喜一憂することになる。

ある晩、黒い影が見えたと思ったら隣室のKで、お嬢さんへの恋心を打ち明けられる。「先生」は自分の気持ちは押し隠し、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」というKの言葉を引用して、道を志すのではないのかと批判を展開、諦めさせようとする。その一方で、早急にお嬢さんとの婚約の手はずを整える。自分を頼り信頼している友人を裏切り、「恋愛」を選ぶ自分を叔父と変わらない人間だと感じ、自分を信じることができなくなる

すべて打ち明けなければと思った前日の夜、Kは恋心を秘めたまま「自分は薄志弱行で、とうてい行く先の望みはない」と自殺を遂げる。

「先生」はKが気持ちを伝えなかった事、書き残さなかったことにほっとするが、こころの奥に根付いた「自分が信じられない」から「人間すべてが信じられない」という暗闇にとらわれ続けることになる。

その後お嬢さんと結婚して生き続けるが、半分死んだような「先生」と「妻」は、穏やかながら少しすれ違った生活をしていく事となる。

「先生」は妻の真っ白な心に汚点を残さないように、Kのことについては「私」からも漏らさぬようにと念押ししており、最後までお嬢さんに対する恋愛感情は消えなかったようです。

「先生」は死ぬタイミングを探していたが、後追い自殺をしてはKの「道に生きられぬから死ぬ」高潔な気持ちに泥を塗るようでもあり、決断できないでいた。乃木大将の殉死を聞き「明治時代に殉じる」のであれば、誰も傷付けず秘密を守ったまま死ねるという決断をし、「私」が東京につく頃には「先生」は生きていないが、私の精神を君に受け継ぐということを手紙で告げる。

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 2.感想、解釈

まず題名にびっくりします。「こころ」なんて題名の小説、普通の人が書けますか?精神分析の本や、その時のこころのままに書くエッセイではなく小説です。
いくら既に評価を確立した作家であっても、こころという概念に迫り、普遍的なものに昇華した小説を書くぞという強い決意がなければ書けません。

実は、漱石は色々な短編を集めて、こころの様々な側面に迫るつもりだったようで、この作品が「こころ」の全ての予定ではなかったようです。

しかし、先生の遺書が長くなりすぎてしまい、「こころ 先生の遺書」として連載したものが「こころ」になりました。

漱石も、この一作で「こころ」を書ききれるとは思ってなかったと知って、ちょっとホッとします。

「彼岸過迄」「行人」「こころ」と後期三部作として位置づけられています。エゴイズムと倫理観の葛藤がこの頃のテーマになっています。

乃木希典の明治天皇への殉死に影響を受けたとされています。

大正という新しい時代の中で、明治人として人生の大半を生きた漱石。

日清戦争、日露戦争での勝利に沸く時代の中で、苦労して土台を作ったという自負と、精神の世界だけには生きられなかったという悔恨がつきまとって居たのでしょう。

時代に取り残されるような孤独を漱石は感じていたようで、作中の「先生」に「明治時代への殉死」を託しています。

「先生」はかなりエゴイストで、けっこう姑息ですよね。遺書の中でも自己弁護している部分が見られます。正直な気持ちを書いたというよりは、良い教育を受け思索をしてきた人間として、なんとか体面と筋を通すための遺書という感じも受けます。

しかし、「先生」が圧倒的な孤独のなかにいたのもまた事実。お嬢さんを思い自分を恥じるばかりに、全てを隠し通したのが良くなかったと思います。金で故郷の家族を失い、恋愛で新たな家族にも心を割って話せない

お嬢さんは結構たくましく感じられます。嫉妬を煽ってみたり、きっぱりとものを言ったり、と「私」からみると性差を感じずに話しの出来る相手でした。真実を話してもそれ程動揺もしなかったと思います。

ただ、「先生」はお嬢さんを掌中の珠のように美しく保つことで、自分の醜い「こころ」を、お嬢さんの心の中では美しいものにしておきたかったのではないでしょうか?

そして、多くの人が持つ「別に死ぬことはないではないか」という疑問。これは、日本人独特の美学のようなものの影響もあると思います。「死んだように生きる」ことでKの供養を続けてきた「先生」が古い時代の終わりと共に、そのような呪縛から解き放たれるために「先生」が考えうる唯一の方法だったのでしょう。

これは先生にとっては終焉ではなく解放なのだと思います。

また、冒頭で何度も「君は新しい世代の人だから」と言っているように、次の時代を生きる、新しい倫理観・価値観をいきる人に、自分とは違う解決方法を探って欲しいという願いも込められているように思います。

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 3.夏目漱石について

1867年(慶応3年)江戸牛込生まれ、幕末から大正を生きた作家です。

幼少時はアチコチに養子に出されており、たらい回しの状態でした。これは「坊っちゃん」などの作品に影響が出ていると言われています。中学時代(今の高校時代)に漢詩に目覚め、儒教的な倫理観、東洋的美意識や江戸的感性が磨かれ、作品にも影響が見られます。

帝国大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学びます。卒業後に松山で教師をしていた時に、子規が結核の療養にやってきて生徒達とだらだらと過ごしても黙認し、結核の治療のために滋養のあるものをいつも食べたがる子規にうなぎを用意したりしています。

人が周りに自然と集まる子規と一緒に遊ぶことは少なかったのですが、互いに通じ合うものがあったようで付かず離れずの友情を育んでいます。ちなみに、漱石という名前は先に子規が俳号として使っていました。「漱石枕流」石で口をゆすぎ水を枕にする変わり者、頑固者は学生に人気だったようです。

大学時代には、近親者の死(仄かな恋心があったとされる兄嫁など)をとおして厭世的な気分を持つようになったと言われています。

大学卒業後に英語教師になるも、日本人が英文学を学ぶことに違和感を覚え、肺結核なども重なり、極度の神経衰弱・強迫観念にかられるようになり、松山に教師の職を得て東京から逃げるように去りました。

その後熊本に赴任し寺田寅彦などの門下を得ることになります。その頃、鏡子と結婚。

1900年よりイギリス留学。新しい時代の礎となろうという意志はありましたが、配給される金額が少なく困窮。さらに、英文学研究への違和感がぶり返し、再び神経衰弱になり下宿を転々と変えるようになります。あまりの様子を周囲が見かね、勧められて予定より早く帰国します

帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じるようになります。吸収したものを手渡したいという思いと、日本人が英文学を論じる違和感との葛藤は続き、また固く分析的な漱石の授業は人気がありませんでした。授業で叱った生徒が自殺したこともあり、神経衰弱がぶり返し、妻との別居もしています

転機となったのは、この療養中のこと。子規は漱石のイギリス留学中に亡くなりましたが、その弟子・高浜虚子の勧めで1904年「吾輩は猫である」を書き始めます。「ホトトギス」に読み切りとして掲載したところ、好評で続編を書くことになります。この時37歳。遅い作家デビューと言えるでしょう。

これをキッカケに作家として生きていくことを熱望し、続々と作品を発表し好評を得ます。世俗を忘れ、人生をゆったりと眺めようとする要素が強く、自然主義と対立する余裕派と呼ばれました。作家を始めとする仲間が毎週木曜日に漱石の家を訪ね「木曜会」が始まります。

1907年作家に専念するために朝日新聞社に入社。「虞美人草」の連載を開始しますが、また神経衰弱や胃病に苦しめられます。1910年「門」を執筆途中に胃潰瘍で長期入院、危篤状態に陥ります。一時的な「死」を体験したことで、のちの作風に変化が出てきます。その後も神経衰弱、胃潰瘍、痔などに悩まされながらの執筆が続きます。1915年12月9日「明暗」執筆途中に亡くなります(49歳10か月)。

妻の鏡子は悪妻として名高いですが、近代的なタイプで、気取らないさっぱりとした人間でした。家事が苦手で、まだ若かった新婚当初にはヒステリーを起こすこともあったといいます。流産した際に自殺未遂を試みたことがあり、心配した漱石は寝る時に指を縛りあって居たという話もあります。繊細だが衝動的な一面も持っていたようです。

しかし、神経衰弱、胃潰瘍、痔、晩年の糖尿病などと、やっかいな夫をよく支えた人物という評価もあります。漱石は穏やかな写真のイメージと違い、神経が衰弱すると妻や子どもに暴力なども振るったのですが、「病気なのだから」と離婚の勧めを断っています

木曜会のメンバーにも温かい母親的な態度で接し、金銭的な援助も気楽にしています。漱石との間に2男5女を設けており、長男の子(漱石の孫)夏目房之介は漫画家、エッセイストとして有名ですね。

ここで妻の話をしたのには理由があります。勝手な解釈なのですが、「こころ」は夏目漱石から妻へのラブレターだと思うからです。同性愛的な小説だとか、神話時代からある父殺しの物語だというのも理解できます。それでも、私は妻への恋文だと思うのです。

まず、「先生と私」で、「恋愛というのは事実なんだ」と先生は語ります。頭で考えることではなくて、ただ「恋に落ちた」という事実だけがあるというのです。

漱石は見合い結婚でしたが、当時の女性には珍しく大きく口を開けて楽しそうに笑う鏡子に、ひと目惚れしたといわれています。

お嬢さんの闊達な物言いは鏡子を思い起こさせますが、恋している漱石には、それが好ましく明治の女らしく見えていたようです。

また、KはKnowなどのKを発音しないことから「存在しない」という意味でつけたそうですが、Kは漱石の本名である金之助のイニシャルでもあります。Kも「先生」も漱石の分身であリ、2人は不可分であるからこそ、Kの死で「先生」も殉死をしてしまう。

自分が妻や子どもに対してする暴力に対する罪悪感、苦しみの中でも妻と共に生きることを選択してきた「先生」なりの不器用な愛情表現、道者として恋を断ち切れぬことで自殺したK。

これは、「恋愛」というものが如何に人を動かすか、そしてままならぬものかという小説でもあると思います

「こころ」を読んだ妻が、そこから漱石の気持を感じたかどうかは分かりません。自殺の話なんか書いて、また神経に触るのではないかと心配したかもしれません。でも、その心配もまた愛であると思うのです。

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