ロシアの画家 イリヤ・レーピン

 

ロシアのレンブラントとも称されたことのあるイリヤ・レーピン。その作風は緻密で写実的です。印象派の画風を強く継承していますが、彼自身が印象派に属することははなかったそうです。

肖像画と貧困や差別にあえぐ社会の最下層を題材に数多くの作品を残した人物です。代表的な作品は「ヴォルガの船曳き」「イワン雷帝」などがあります。

【イリヤ・レーピンとは?】

1844年8月5日ウクライナの中心部チュグエフに生まれます。両親は屯田兵としてウクライナに入植したロシア人です。

1866年から、地元のイコン画家ブナコフを師として肖像画の予備的な修業を積んだ後、サンクトペテルブルクに上京。

短期間のロシア帝国美術アカデミーへの入学を許可され、1873年から1876年の間にはイタリアとパリにも留学しています。その時にフランス印象主義絵画の色と光の使い方に感化を受けます。

1930年9月29日(86歳)で亡くなっています。

彼が晩年サンクトペテルブルクの真北で過ごした家は「ペナトゥイ」と呼ばれ、1940年にレーピン美術館として公開され後、現在は「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」の一部として世界遺産に登録されています。


ベラルーシにあるイリヤ・レーピンの美術館で彼のカントリー・ハウス

【移動派に所属】

移動派とは当時の官立美術アカデミーの制約に抗議し、ロシア・リアリズム美術の画家集団のことです。1870年「巡廻美術展協会(または移動展覧会協会)」として立ち上がりました。

「移動派」という通称は、この派閥がロシア各地で巡廻美術展をおこなったことに由来しています。

移動派は社会生活における批判精神をもって描きました。また、それだけではなく、民衆の貧しさや苦しみのの中に垣間見れる美しさ、そして力強さも表現対象としていました。

【代表的な作品】

動画:イリヤー・エフィーモヴィチ・レーピン Илья́ Ефи́мович Ре́пин


社会派としての作品で有名なのは以下の作品です。

・「ヴォルガの船曳き」

19世紀後半、産業革命が進んだその時代においても、ウシや馬ではなく、人の力で舟を曳いているという光景。

貧しい庶民にスポットを当てた作品。そこに描かれている人々の表情に心打たれます。苦役に耐え働く人の中、前を向き顔を上げる少年の姿も印象的な作品です。

・「ナロードニキの逮捕」

ナロードニキ運動をしている若い活動家が農民の家を訪れて政治批判をしたため逮捕されてしまった瞬間を描いています。若者は捉えられ、カバンの中を調べられています。

ナロードニキ運動とは、1860年代から70年代のロシアの社会運動家の総称で、農民の啓蒙をはかり、革命運動を起こし帝政を倒し、新しく自由な農村の共同体建設を目的としていました。ナロードとは農民に代表される一般市民という意味です。

・「思いがけぬ帰宅」

「思いがけなく」や「待っていなかった」と題されることもあるようです。亡命した革命家が突如実家に帰還した状況が描かれている作品です。扉を開く女性の吃驚した表情をはじめ、家族の心理描写が巧みに表現されています。

・「イワン雷帝」

怒りを抑えることのできなかったイワン雷帝が息子を殴ってしまいます。その後正気に戻ったイワン雷帝が腕の中で力なく命を失っていく息子を抱きしめながら、自分がした事の重大さに恐れおののいている姿を描いています。


また、肖像画の作品も有名な作家です。ロシアの作曲家ムソルグスキーの肖像画は、亡くなる10日前の姿が描かれたものといわれています。その恰幅の良い風貌とは裏腹にどことなく焦燥感が深い表情が印象的です。

ロシアの偉大なる思想家トルストイの肖像画も手掛けています。

「ヴォルガの船曳き」は特に有名で教科書等でも目にした覚えのある人が居るのではないでしょうか?

裕福な文化人との交流も深く肖像画を描きながら、貧しい人々の生活をも描くという様々な視点から絵画表現をした多面性のある人物なのですね。

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