女だって政治できるもん! オーストリアの偉大な君主と言えば女性のマリア・テレジア

 

オーストリアの偉大な君主といえば、マリア・テレジアですね。また、マリーアントワネットの母としても知られています。

彼女はどのような功績をのこしたのでしょうか?

【期待されていなかったマリア・テレジア】

ハプスブルク家に産声を上げたマリア・テレジア。しかし、相続権は男のみにあったため父親であるカール6世はマリア・テレジアには女王としての教養は惜しみなく施しましたが、帝王学や軍事に関しては全く学ばせませんでした。

6歳の頃に出会った、9歳年上の小国ロートリンゲンの王子フランツ・シュテファンに恋をして、当時としては珍しく19歳の時に恋愛結婚を許されます。

カール6世は長女のマリア・テレジアが男児を早く出産し、その孫にハプスブルク帝国の君主を継いでもらいたいと願っていましたが、カール6世が亡くなる前に男児の出産は叶いませんでした。

そのことに失望し、女児だった孫のゆりかごをのぞき込むことさえしなかったと伝えられています。今の感覚では、それでは娘も孫も可愛そうに思えますよね。

【カール6世の死後女帝に】

動画:Österreichischer Militärmarsch “Maria Theresia-Marsch”


カール6世の死後、男児を出産できなかった為、マリア・テレジアが女帝となりました。これを機会にと生涯の宿敵となるプロイセンの国王フリードリヒ2世が帝国内で最も資源的価値のある工業地帯シュレージェン地方に侵略、強大な軍事力で占領してしまいます。

これに対応しようと、父王の時代からの側近を集め会議を開きましたが、シュレージェン地方奪回の戦いをしても勝ち目がないと、皆口を噤んでしまったそうです。さらには、周辺諸国もプロイセンに続けとばかりに攻め込んできました。

この事態を打破しようと、マリア・テレジアは乗馬の練習を始め、領内のハンガリーへと赴きます。

ハンガリーはハプスブルクと長い間対立した末に支配下に置かれた歴史があり、その当時、反発が強い地域でしたが、今回の事態を乗り切るためにはハンガリーの軍事力が必要であると考えたためです。

ハンガリーは騎馬民族国家で、「国王の騎行」という行事がありました。それは、領土内から持ち寄った土で丘を作り、その丘を剣を持ち馬を操り駆け上がり「どこから敵が来ようとも国を守る」と誓いをたてるというものです。

猛特訓の末、マリア・テレジアはその儀式を拍手喝采の元に成功させ、ハンガリーの心を掴み協力を勝ち取ったのです。

この戦いは「オーストリア継承戦争」と言われ、8年も続きシュレージェンを奪回することは叶いませんでしたが、この戦いでハプスブルク帝国の継承者として、周辺諸国にも認められるようになりました。

【マリア・テレジアが戦いで得たものとは?】

この「オーストリア継承戦争」を終え、マリア・テレジアはハプスブルク帝国の改革を始めます。

まずは人材の登用でした。従来は身分を重視していましたが、優秀な人材を自ら率先して探し出し、身分に分け隔てなく起用していきました。

軍隊は有事の際に傭兵や農民を駆り出していましたが、正式な軍を育成するために士官学校を設立。そこでも、貴族、平民を問わず、平等な扱いをしました。

その為、能力のある農民出身の兵がやる気を出し、その姿に焦りを覚えた貴族兵も必死にそれに対抗するという関係性が見られるようになりました。

さらには、栄養価の高い食事を提供、傷ついた兵たちのための病院を建設したりもしました。

夫のフランツ・シュテファンはマリア・テレジアの影に隠れがちですが、商才に長けていたため、莫大な富を築き、財政の面でマリア・テレジアを支えました。

【母親目線での政治】



そして、マリア・テレジアは16人の子供を産んだ母でもあります。

マリア・テレジアは天然痘の予防接種を広める為に自ら必要性を訴えかけることもしていました。彼女自身、当時天然痘が流行していたということもあり、3人の子供を天然痘で亡くしています。

命を失わなかったまでも姉妹の中で一番美しいと言われていた5女のエリザベートは、フランス国王ルイ15世の婚姻直前に天然痘を患い、顔に痘痕が残ってしまい結婚することを諦め修道院の院長に就任しました。

自分達の子供の教育に力をいれていたのはは勿論のことですが、帝国全土に小学校を設立。各国に先立って義務教育を導入しました。国民の学力の底上げを図ることが、国民生活の改善、ひいては国力の増強に役立つという先見の明をもっての施行でした。

天然痘の接種の呼びかけや、小学校を設立は母だからこその気づきが生かされた行政なのではないでしょうか。

夫、フランツ・シュテファンとは仲睦まじく、彼の没後には彼女自身の装飾品は譲渡し、生涯喪服で過ごしたといいます。

また、宮殿の一室にある「磁器の間」には子供達が描いた絵が壁面に飾られ、さらに宮殿内に劇場を作り、そこで子供達がバレエや声楽を見学するのが一番の楽しみだったと伝えられています。

マリア・テレジアとは妻として、母としても生きた偉大なる女帝なのですね。

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