NHK「英雄たちの選択」で知った 裏切り者、城造りの名人 藤堂高虎 Ⅰ

 

藤堂高虎という人を知っていますか?私は知りませんでしたが、母に聞くと、裏切り者、城造りとすぐにキーワードが出てきました。有名人だったんですねえ。

そう言えば城造りの名人の話は聞いた気がしましたが、裏切り者の話は聞いた事がありませんでした。NHKの歴史番組はどれも面白いですが、この回も期待に違わず非常に面白かったので紹介したいと思います。

ちょっと血の気が多すぎませんか?

藤堂高虎は近江、今の滋賀県に生まれました。時は戦国の世の終わり頃。場所も時もベストタイミングと言えるでしょう。

父親は渡り奉公人と言われた、出世を求めて主君を渡る人。

藤堂高虎について書かれた書物によると、高虎は家中の乳の出る女の乳をすべて飲み干し、3歳にはひたすら餅を食べていたそうで、小さい頃から、器がでかいというかなんというか…。
で、気性が激しく、乱暴者だったそうです…。まあ、戦国の世には合ってるかな?

大体渡り奉公人と言われる人達は皆出世を求めているので、荒い人が多かったそうで、後に藤堂高虎は風見鶏、裏切り者と言われますが、主君を見限るのも当たり前だったそうです。
まあ、たしかに良い主君に仕えなきゃ、意味が無いですものね。

なんでも6尺2寸という背丈、今で言うと180~190cmの背丈の持ち主だったそうで、現代でも大男ですが、あの頃は全体的に背が低かったので、目立ちまくっていたことは確かです。
背丈が高ければそれだけ筋肉も付きますので、強かったでしょう。

10歳で大人のようになり(ってどのくらい大きかったんだ?)、戦場に出るようになり、14で浅井長政に仕え、15で一番首を取るなど、目覚ましい活躍をし、主君が直々に礼状をあげたほどでした。

しかし、残念ながらと言うか、まわりみんなそうだったから仕方ないというか、気は荒く、プライドは高く、揉め事ばかりで、17歳の時に口論をした相手を斬り殺し、出奔しました。
ため息が出ますね。今なら犯罪者です。

阿閉(あつじ)家に使えましたが、働きの悪い同僚二人に腹を立てて、また斬り殺してしまいました。

で、今度は織田信澄に仕えましたが、戦功の割に報奨が悪かったので、早々に見限りました。

で、また、どこにも仕えてないただの人になっていた時に、どこから聞いたのか、羽柴秀長が来ました。秀吉の弟です。
織田信長は生きてましたが、秀吉もかなり出世していた時です。

秀長は21歳の高虎に召し抱えたいと言い、直前の上司は彼に80石を与えてましたが、300石与えると言うので、一も二もなく、秀長に仕える事にしました。

秀長は非常に温厚な人で、羽柴家は農家出身でしたから、代々仕えていましたというような人はいなく、高虎にはぴったりな所で、やっと彼の何な人生に光が見えてきました。(ちょっと簡単に殺し過ぎたと思うけど…)

城造りの名人、高虎


但馬を攻略した秀長は高虎に城造りを命じました。秀長は高虎に城造りの能力を見出したんですね。高虎の生まれた地は甲良(こうら)大工という高層建築を造るのに長けた人達が集まっていた所だったのです。

高虎は当時当たり前ではなかった石垣を設置し、主要な建物を5メートルの石垣で囲みました。その功績への恩賞は4600石でした。

そして、高虎30歳、紀州を攻略した秀長はそこの統治を命じられ、城の普請奉行に高虎を抜擢。高虎は1万人を動員して約1年で和歌山城を完成させました。

そして家老になる高虎。大出世です!

記事が長くなりましたので、その後の苦悩は次に書きたいと思います。





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