備中松山城 地元の人が修復した城

 

備中松山城を修復した人たち



備中松山城は鎌倉時代に地頭に任ぜられた秋庭三郎重信により築かれたそうです。

その後明治6年に廃城令が公布された事によって山城は売却される事になりました。

しかし、山の上にあり場所が不便な事から山の上の城は解体されずに放置されました。

昭和初期に信野友春という先生が高梁中学校に赴任してきました。
彼はこの地の有名な山の上のお城を見に行き、その荒れ果てた様子に驚きました。
彼は崩壊寸前の城についての記録を残しました。

それがきっかけになって、昭和14年に町が費用を出し、城の修復作業が開始されました。
修復作業は進んでいったのですが、瓦を山の上に運ぶ事で問題が発生しました。
瓦は重く、大変多く、それを山の上まで運ぶのは予算的に無理だったのです。

この時、ちょうど夏休みだった事もあり、高梁中学校の生徒たちや地元の子供たちが協力しあい、瓦を山の上まで運び、昭和15年に修復作業が完了しました。

現在の備中松山城



備中松山城

松山城は岡山県の高梁市にあり別名は高梁城と呼ばれています。
夏季は9時~17時半、冬季は9時~16時半まで一般公開が行われています。
12月28日~1月4日までは休館日なので注意してください。

最近ではNHK大河ドラマのオープニングで松山城が使用されました。

・雲海

秋から春にかけて、天候などの条件がそろうと、早朝に雲海が見られる事があります。その条件は朝方と日中の気温差が大きい事です。

滅多に見られる事はないようですが、11月上旬から12月上旬までは特に見られる事が多いそうです。

見られたらラッキーですね。

「備中松山城 雲海 に浮ぶ山城」


・交通アクセス

JR西日本備中高梁駅からバスが出ており10分、松山城登山口下車徒歩で約50分の場所にあります。
車では岡山自動車道賀陽ICで20分、下車後徒歩20分のところにあります。
どちらにせよ多少歩く事になりますが土曜日曜・祝日は城見橋公園とふいご峠間でシャトルバスが走っています。

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